今は一緒にいても、いつか忘れ、最後にはその人の記憶から消えてなくなってしまうのではないかという恐怖。
その暗闇を手探りと思い込み、かすかな希望だけを頼りにここまできたようなものである。
人の記憶から消えてなくなってしまえば無きも同然。
どんなに斬新で立派な事を成し遂げようと、それはやがて古くなって廃れ、それにとって変わるものが現れ、歴史は次から次へと塗り替えられる。
もしそうなら、どこで誰と何をしていてもさして変わりはない事になる。
そんな不安で頼りない私を今へと繋げたのはただ三つの考えによる。
まず、どの人も非常に奇跡的で貴重な存在なのではないかという考え。
それからまだ見ぬ未来にはまだ見ぬ自分や事物があるのではないかという思い、それを見てみたいという欲望。
そして、自分に負けたくないという意地。
当時、年上の人に会う度、聞いて回った。
「歳を重ねれば重ねるだけ、精神的、気持ち的にはだんだん、どんどん、楽になるのではないか。そうして、すごく楽になって、それ以上、受け入れられるものがなくなった時、もしくはそれ以上、必要なものがなくなった時、お迎えが来るのではないか」と。
だから歳をとって老いていく事は想像する以上にステキな事なんじゃないかと。
みんな口を揃えて「そうね」と言った。
で、今、27才にして思う事。
人生ってきっとものすごく長いんだと思う。
だって。まだあるんでしょ?って感じ。
誰にホメられたくて頑張っているのか。
どこへ行くために準備をしているのか。
何者になるために努力しているのか。
誰に与えるため、得ているのか。
そもそも。なぜここでこうしてこの人と一緒に居るのか。
人によってそれは違うし、とても曖昧な問いかもしれないけれど、正解なんてどこにもない。
焦る必要も比べる義務もそこにない。
善悪の基準など、たいがいはただの多数決か一般論に過ぎない。
ただ、巡り会った者同士が身を暖め合い、まもり、情報を共有し、需要と供給、愛憎の間で揺れ動く。
少し前に常識だと思っていた事が数年後にはすぐに覆され、他の土地へ行けば正と悪が逆転すらしかねない。
私は大いにプライドを持ってして、自分にとって最も心地良い場所での最も楽しい生き方をし、あるがままに身を任せようと思う。
だって私はまだ何も知らないのだから。
自分が27年生きるのにどれだけのエネルギーを要したかを考えると、60年はその2倍以上、80年はもっともっと長いのだろうと考えるとそれはとてつもなく長く果てしない。
祖母が言ってた。
今、誰かにどんなに気を遣っても、その人はいつか死ぬから。
自分もいつか死ぬんだけど、まだ死んでないから。
だからやっぱり。自分の神様は自分しかいないんだと思う。
けど、ひとりでは生きられないから。
今、どんなに恥ずかしくて、誰に笑われようとも。今月いかにアフィリエイト収入が低かろうとも。w
ここに。嘘偽りなく私の正直な気持ちを、残しておこうと思う。
今が0才だとして。
最後には出来れば精神年齢200才くらいになっていて。
今、自分の全てを賭けて悩んでいた事がいつか、お腹を抱えるほど笑える時が来る事を祈って。
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新米主婦 in アメリカ、カリフォルニア